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ago 06, 2005

本日、60年後の‘かの日’につき…
今更ながら井伏鱒二様の『黒い雨』再発見

本年も遂に、かの日がやって参りました。過去ログで宣言しました通り、今日は他でもありません、我が敬愛致します鱒爺こと井伏鱒二様の『黒い雨』について少々記したいと存じます。『黒い雨』…御年配の皆様は『姪の結婚』という題名で昭和40年から『新潮』に連載されていましたので、或いはリアルタイムでお読みになられたかも知れません。戦争を体験していません私のような世代の皆様でも、恐らくは学校の教科書で多少なりとも触れられたことがございましょう。なので改めて申し上げますまでもありませんが、『黒い雨』は広島への原爆投下当日から、被爆してしまわれました若い女性とその叔父夫妻の、その後の闘病生活と苦悩を描いた物語。既に今村昌平監督によります映画化作品についてはログを書いておりますが、今回は本家本元でありますこの原作を読みましての感想なぞを一筆…

最初にお断りしておかねばなりませんが、私はかつて小中高の国語&現国の教科書に掲載されておりました名作小説という類の書籍には、この年齢(はヒ・ミ・ツ♪)になりますまで一切興味を抱けずに生きて参りました。安部公房だけにはチョビっと心惹かれましたこともございましたが、全般的に‘続きを読みたい’ですとか‘この作家の他の小説を読みたい’と思わせてくれます作品は、何故でしょうか教科書に見当たらなかったのです。そもそもは中学一年か二年の頃の教科書で、太宰治の『走れメロス』と出遭ってしまいましたのが運の尽きでした。自信過剰で魅力に欠けました主人公殿、彼の理解不能な倫理道徳観念、それが故に親友のお命を担保に一人ギャンブル・マラソンまでなさっちゃって…恐るべし、『走れメロス』!親兄弟よりもお友達が大切になりがちな思春期の少年少女達が、あっさりと納得して声援を送ってくださるとでも本気でお思いでしたのかしら、メロス殿?じゃなくて、文部省?まぁ、何はともあれ…少なくとも私は『走れメロス』を以って、世間一般で‘名作文学’とか呼ばれております作品群にはアレルギー反応を示すようになってしまったのです。

ですので、高校の教科書に鱒爺の『黒い雨』が登場しましても、‘ああ、原爆の悲惨なお涙頂戴話ね!’くらいの印象しか無く、この長い作品のほんの一部しか読んでおりませんのに、自分の中で一方的に‘ちゃんと全部読むことなんて、一生無いだろうな~!’と結論づけてしまっておりました。まだ未成年でお国に税金も納めてい無いような、まだ犯罪を犯しても実名報道されませんような、まだ酒も煙草も嗜んだことがありませんような、糞真面目な世間知らずの半人前の青二才のガキンチョの癖に、です!思い返しませば、あの当時はまだ鱒爺も御健在でしたのに…嗚呼、勿体無い!ちゃんと『黒い雨』を読みまして、現在の己ほどの叡智が備わっておりましたら!私は必ずや鱒爺にファン・レターの一通でもお送りしておりましたでしょうに!若気の思い込みや決め付けが如何に人間の視野を狭め、可能性までをも潰してしまいますものか…むむむむむ!馬鹿はやっぱり、犯罪です♪

如かして私は何とか三十ん歳の今年の時点で、ようやく心を入れ替えまして『黒い雨』を完全読破!映画を先に観ちゃったという、実にカッチョ悪い前提はございましたが(汗)。それでも…つまりは映画を観てしまいました後でも、小説『黒い雨』の内容は酷く衝撃的で、映像で直接的に‘見せる’という媒体よりも、言葉で間接的に想像させながら‘読ませる’という手法の方が、この題材に於いては少なくとも鑑賞者への影響力が絶大だと実感せずにはおられませんでした。しかも驚くべきことに映画では登場人物達が泣き喚くなどして、度々に渡って原爆後遺症への恐怖を訴えられていましたのに対し、小説ではそのような場面はほぼゼロ!鱒爺の他の作品について述べましたログで、私は彼の作風をひたすら有りの儘を描かれるだけだと分析した記憶がございますが、原爆という重いテーマを扱いました『黒い雨』に於いてすら、その鉄壁とも申せましょう客観的な描写姿勢は貫き通されていたのです。

その為でしょうか?『黒い雨』には誠に可哀想な宿命を背負われた被爆者の方々が何人も登場なさいますが、不思議と読んでおりましても涙の一筋も零れて参りません。鱒爺が被爆者の方々への同情を呼び起こさんとして『黒い雨』を執筆なさったのでは無かろう印象を、私以外の多くの読者様方も抱かれましたはず。広島県出身者として、日本人として、人間として、或いは単に文筆に携られます者として、鱒爺は表向きはフィクションという形式を取りつつも原爆及び原爆症についての記録を、可能な限り詳細に書き残さねばという義務感に駆られて『黒い雨』を完成させたように思わずにいられません。この作品の内容は事実、多くの原爆罹災者の体験談に基づいて描かれていて、彼らが語られたと思われます想いは厭らしく無い程度に盛り込まれておりますが、鱒爺自身の価値観や倫理観に基づいた作述は全くに近いくらい無いのです。

『黒い雨』で主として描写されますのは…閑間重松とその妻が被爆している自分達の身を案ずるよりも先に、広島の自宅に疎開させていたが為に放射能を含んだ黒い雨を浴びてしまった彼らの姪・矢須子の嫁ぎ先探しに苦悩している様。縁談が纏まりかける度に8月6日に広島市内に居たという妙な噂を流されたりで、当時としては行き遅れの年齢に差し掛かりつつある矢須子の沈んだ心情と、やがては原爆症を発症してからの彼女の衰え行く克明な様。爆心地近くにて被爆されたにも拘らず、猛烈な原爆症をビタミンCとペニシリンの投与&摺った桃と生卵だけを食しつつ、奇跡的に生き永らえた軍医・岩竹 博の原爆生還体験の様。これらは重松が作中で執筆している「被爆日記」や、「広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記」等の形式で随時挿入されています。そしてそれらの存在は一般的な小説形式で描かれている、一見しますと穏やかな主人公達の戦後の生活の根底に、如かして‘ピカ’の後遺症という絶対的恐怖が潜み続けている旨を読者に忘れさせません。

此処では敢えて抜粋等は致しませんが、原爆投下当日の広島や原爆症の諸症状などは背筋を凍り付かせますような、『黒い雨』では豊富過ぎるくらいのディテールで記されています。けれどもその渦中にいる登場人物達は、その悲惨な現実に対します感情を口にしたり心中で呟くことさえも極めて稀。そんな沈黙の姿勢が逆に、まるで彼らの深奥の絶望感を強調しているかのようでもあります。こうした効果を生み出す作風が、鱒爺が『黒い雨』に込められた彼自身の無言の‘声’だったのかも知れません。鱒爺はきっと‘原爆小説’を執筆する上で、被爆者の一人では決して無い己の立場を確と自覚なさって、憚らずも彼らの代弁者になろうなどという尊大な意向は排除したかったのではないでしょうか?鱒爺の他の作品を読んでおりますと一部の初期作品以外では、小さな人間達が彼らの属する小さな社会に於いて小さな苦しみや楽しみに翻弄されます様子を、常にそのままの原寸で描かれているような雰囲気を感じます。そんな鱒爺のことですから、本人自身の身の丈をも充分に弁えていらしたことでしょう。被爆者でない鱒爺は原爆関連の客観的事実を文字にすることは出来ましても、被爆者達の感傷は記せない…いいえ、記します権利が無いと思っていらした可能性が否めません。

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ago 05, 2005

復活の日?極私的な真夏の闘病報告♪

大変、大変、タ・イ・ヘ・ン!御無沙汰してしまっておりました、岡枝です。TBやコメントを頂戴しましても、すっかりシカトを決め込んでしまっておりまして、誠に申し訳ございません。後日、少しずつお返事等は書いて行く予定です。今日は多分、このログを書き終えた時点でショートしてしまうかと思われますので…後回しにして申し訳ありません。悪意がありましてのことでは、決してございません!が、それでも多くの皆様方に対します不義理をこの場にてお詫び致します…

ごめんなさ~い!

っと、大声(?)で謝罪しましたところで引き続いて言い訳をば少々…

自律神経失調症なんで~す!

そして、先月から身を持って知り得ましたが…

自律神経失調症者の夏は地獄!

なのでございました。ええ、そうなんです。今年の夏は我が人生で最高にキツ~イ!ものとなってしまいました。かつて重度の鬱病でした頃でさえ、このような苦しい夏を体験しましたことはありませんでしたのに。自律神経失調症ともなりますと、体温調節の機能が極端に低下してしまいますもので。日々、室内でクーラーにあたって過ごしますうちに、私は見事に冷房病を併発!冷房病なんざ(意外にも♪)此れまでの一生で、一度もかかったことなどありませんでした。しかも本年はちゃんと地球温暖化を考慮しまして、常にエアコンを28度に設定しておりましたにも拘らず!そのエアコンも私が掃除を怠っております故、実質上は29度くらいにしか部屋は冷えていなかったはずでした。更に申し上げませば、私は直接クーラーの風にあたりますような真似は断じてしていなかったのです!(←煙草の灰が飛び散るからイヤなのよ~ん♪)なのに…

冷房病!それも、かなり重いヤツ!

冷房のせいで血行が酷く悪くなりました私は、身体を横たえて眠っておりますだけで血液が末端に凝固してしまい、手足が浮腫みました痛みで安眠出来なくなってしまいました。睡眠薬を飲んでも、です。朝(とは限りませんが…)は常に体中の痛みと共に目覚め、2時間~4時間程度しか熟睡は不可能となっておりました。しかも身体が痛かったり、暑かったりで寝苦しい状態でしたので、悪夢ばかり見ますわ、口呼吸になってしまいますわ…寝れば寝る程に疲労は溜まります一方で。加えまして先週からは眠っているうちに激しい偏頭痛に見舞われますようになって、半ば睡眠恐怖症になってしまいました。

勿論、起きている間中も半ば廃人♪29度の室内におりましても勝手に身体が熱して、サウナにでも居りますかのように発汗してしまいましたり。かと申しましてエアコンの温度を少しでも下げますと、悪寒と吐気に襲われてしまいます。一時なぞは食欲がほぼゼロに達してしまって、この世で唯一美味しく感じられます食べ物はお素麺だけと化してしまったり。立っていても、座っていても血行不良は改善されませんで、下半身か首と肩か頭か…或いはそれら全てが同時に痛いという生き地獄が続いています。

こうしました悪魔のような冷房病のせいで、ストレス数値も一気に上昇しました御様子で、久方振りに自律神経失調症の極めて著名な症状;咽喉に詰まるような異物感♪が再発してしまいまして、数日前までは水を飲みますのも辛いくらいでございました。この症状は本当に咽喉に異物があります訳ではないのですが、錯覚であれ何であれ、その感覚は尋常でなくリアルでしたり致しますので…必然的に四六時中、妊婦さんが如き嘔吐感を抱かせてくれちゃうというオマケ付き♪胃腸薬を飲みましても、咽喉へのシュールな刺激は治まりませんので、吐気を追い払うことは不可能です。

こんな状態で我ながらよく生きているなぁ…と、己の性魅力♪じゃなくて!生命力に感服しますばかりの毎日です。こんなになってしまいましたので、先月までは一日二錠に減らしておりましたワイパックスちゃん(安定剤)も、泣く泣くもとの三錠に戻しました。二錠に減らしましただけで普通の皆様並みにストレスを感じられます身体に戻りまして、お蔭様で体重がどんどん減りつつありましたのに!残念!旦那が先月から家でお仕事をしておりまして、奴が年中在宅と申します、ストレスを感じますにはパーフェクトな生活環境が整っておりましたのに!嗚呼、残念!マジで二ヶ月で5キロ以上も減りましたのに!嗚呼、超残念!でも、まぁ…たったの一昨日からですけどワイパックスちゃんを三錠に戻しましたら、本日はやっと咽喉の異物感もやわらぎました。その甲斐ありまして本日は久々に、このような駄ログを書けますくらいには回復出来ましたのですが…チェッ!また肥満体に逆戻りしちまうのかなぁ?イヤ~ン♪

如かして私は、自律神経失調症という病気を今まで実に甘く見ておりましたことを反省しております。一年近くも以前から立派に自立神経失調症患者をやっていたにも拘らず…です!自律神経失調症という病は周囲から理解され難いものだと申しますが、当の患者本人がこのザマなのですから、それも致し方無いことかも知れません。今回の私の場合は、冷房の効きました室内と猛暑の屋外の行き来によって、体温調節が狂いを生じましては周辺気温の高低に関係無く、身体が寒かったり暑かったりしてしまうという妙な体質になってしまいました。まるで周囲の色彩に応じて体色変化出来なくなりましたカメレオンのよう…極めて無能な生物です(涙…嘘ぴょん♪涙は出ません、出るのは冷や汗だけ)。

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