本日、60年後の‘かの日’につき…
今更ながら井伏鱒二様の『黒い雨』再発見
本年も遂に、かの日がやって参りました。過去ログで宣言しました通り、今日は他でもありません、我が敬愛致します鱒爺こと井伏鱒二様の『黒い雨』について少々記したいと存じます。『黒い雨』…御年配の皆様は『姪の結婚』という題名で昭和40年から『新潮』に連載されていましたので、或いはリアルタイムでお読みになられたかも知れません。戦争を体験していません私のような世代の皆様でも、恐らくは学校の教科書で多少なりとも触れられたことがございましょう。なので改めて申し上げますまでもありませんが、『黒い雨』は広島への原爆投下当日から、被爆してしまわれました若い女性とその叔父夫妻の、その後の闘病生活と苦悩を描いた物語。既に今村昌平監督によります映画化作品についてはログを書いておりますが、今回は本家本元でありますこの原作を読みましての感想なぞを一筆…
最初にお断りしておかねばなりませんが、私はかつて小中高の国語&現国の教科書に掲載されておりました名作小説という類の書籍には、この年齢(はヒ・ミ・ツ♪)になりますまで一切興味を抱けずに生きて参りました。安部公房だけにはチョビっと心惹かれましたこともございましたが、全般的に‘続きを読みたい’ですとか‘この作家の他の小説を読みたい’と思わせてくれます作品は、何故でしょうか教科書に見当たらなかったのです。そもそもは中学一年か二年の頃の教科書で、太宰治の『走れメロス』と出遭ってしまいましたのが運の尽きでした。自信過剰で魅力に欠けました主人公殿、彼の理解不能な倫理道徳観念、それが故に親友のお命を担保に一人ギャンブル・マラソンまでなさっちゃって…恐るべし、『走れメロス』!親兄弟よりもお友達が大切になりがちな思春期の少年少女達が、あっさりと納得して声援を送ってくださるとでも本気でお思いでしたのかしら、メロス殿?じゃなくて、文部省?まぁ、何はともあれ…少なくとも私は『走れメロス』を以って、世間一般で‘名作文学’とか呼ばれております作品群にはアレルギー反応を示すようになってしまったのです。
ですので、高校の教科書に鱒爺の『黒い雨』が登場しましても、‘ああ、原爆の悲惨なお涙頂戴話ね!’くらいの印象しか無く、この長い作品のほんの一部しか読んでおりませんのに、自分の中で一方的に‘ちゃんと全部読むことなんて、一生無いだろうな~!’と結論づけてしまっておりました。まだ未成年でお国に税金も納めてい無いような、まだ犯罪を犯しても実名報道されませんような、まだ酒も煙草も嗜んだことがありませんような、糞真面目な世間知らずの半人前の青二才のガキンチョの癖に、です!思い返しませば、あの当時はまだ鱒爺も御健在でしたのに…嗚呼、勿体無い!ちゃんと『黒い雨』を読みまして、現在の己ほどの叡智が備わっておりましたら!私は必ずや鱒爺にファン・レターの一通でもお送りしておりましたでしょうに!若気の思い込みや決め付けが如何に人間の視野を狭め、可能性までをも潰してしまいますものか…むむむむむ!馬鹿はやっぱり、犯罪です♪
如かして私は何とか三十ん歳の今年の時点で、ようやく心を入れ替えまして『黒い雨』を完全読破!映画を先に観ちゃったという、実にカッチョ悪い前提はございましたが(汗)。それでも…つまりは映画を観てしまいました後でも、小説『黒い雨』の内容は酷く衝撃的で、映像で直接的に‘見せる’という媒体よりも、言葉で間接的に想像させながら‘読ませる’という手法の方が、この題材に於いては少なくとも鑑賞者への影響力が絶大だと実感せずにはおられませんでした。しかも驚くべきことに映画では登場人物達が泣き喚くなどして、度々に渡って原爆後遺症への恐怖を訴えられていましたのに対し、小説ではそのような場面はほぼゼロ!鱒爺の他の作品について述べましたログで、私は彼の作風をひたすら有りの儘を描かれるだけだと分析した記憶がございますが、原爆という重いテーマを扱いました『黒い雨』に於いてすら、その鉄壁とも申せましょう客観的な描写姿勢は貫き通されていたのです。
その為でしょうか?『黒い雨』には誠に可哀想な宿命を背負われた被爆者の方々が何人も登場なさいますが、不思議と読んでおりましても涙の一筋も零れて参りません。鱒爺が被爆者の方々への同情を呼び起こさんとして『黒い雨』を執筆なさったのでは無かろう印象を、私以外の多くの読者様方も抱かれましたはず。広島県出身者として、日本人として、人間として、或いは単に文筆に携られます者として、鱒爺は表向きはフィクションという形式を取りつつも原爆及び原爆症についての記録を、可能な限り詳細に書き残さねばという義務感に駆られて『黒い雨』を完成させたように思わずにいられません。この作品の内容は事実、多くの原爆罹災者の体験談に基づいて描かれていて、彼らが語られたと思われます想いは厭らしく無い程度に盛り込まれておりますが、鱒爺自身の価値観や倫理観に基づいた作述は全くに近いくらい無いのです。
『黒い雨』で主として描写されますのは…閑間重松とその妻が被爆している自分達の身を案ずるよりも先に、広島の自宅に疎開させていたが為に放射能を含んだ黒い雨を浴びてしまった彼らの姪・矢須子の嫁ぎ先探しに苦悩している様。縁談が纏まりかける度に8月6日に広島市内に居たという妙な噂を流されたりで、当時としては行き遅れの年齢に差し掛かりつつある矢須子の沈んだ心情と、やがては原爆症を発症してからの彼女の衰え行く克明な様。爆心地近くにて被爆されたにも拘らず、猛烈な原爆症をビタミンCとペニシリンの投与&摺った桃と生卵だけを食しつつ、奇跡的に生き永らえた軍医・岩竹 博の原爆生還体験の様。これらは重松が作中で執筆している「被爆日記」や、「広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記」等の形式で随時挿入されています。そしてそれらの存在は一般的な小説形式で描かれている、一見しますと穏やかな主人公達の戦後の生活の根底に、如かして‘ピカ’の後遺症という絶対的恐怖が潜み続けている旨を読者に忘れさせません。
此処では敢えて抜粋等は致しませんが、原爆投下当日の広島や原爆症の諸症状などは背筋を凍り付かせますような、『黒い雨』では豊富過ぎるくらいのディテールで記されています。けれどもその渦中にいる登場人物達は、その悲惨な現実に対します感情を口にしたり心中で呟くことさえも極めて稀。そんな沈黙の姿勢が逆に、まるで彼らの深奥の絶望感を強調しているかのようでもあります。こうした効果を生み出す作風が、鱒爺が『黒い雨』に込められた彼自身の無言の‘声’だったのかも知れません。鱒爺はきっと‘原爆小説’を執筆する上で、被爆者の一人では決して無い己の立場を確と自覚なさって、憚らずも彼らの代弁者になろうなどという尊大な意向は排除したかったのではないでしょうか?鱒爺の他の作品を読んでおりますと一部の初期作品以外では、小さな人間達が彼らの属する小さな社会に於いて小さな苦しみや楽しみに翻弄されます様子を、常にそのままの原寸で描かれているような雰囲気を感じます。そんな鱒爺のことですから、本人自身の身の丈をも充分に弁えていらしたことでしょう。被爆者でない鱒爺は原爆関連の客観的事実を文字にすることは出来ましても、被爆者達の感傷は記せない…いいえ、記します権利が無いと思っていらした可能性が否めません。